はじめに:AIという「新たな産業革命」の只中で
今、私たちは歴史的な転換点に立っています。AI(人工知能)の能力は、私たちが想像していたスピードを遥かに超え、指数関数的な進化を遂げています。これは単なる技術の進歩ではなく、蒸気機関やインターネットの登場に匹敵する、あるいはそれ以上の「産業革命」と言えるでしょう。
特に衝撃的なのは、今回の革命が私たちの「手足(フィジカル)」ではなく、「脳(思考)」を代替し始めている点です。アメリカではすでに、高学歴なホワイトカラー層の業務がAIに置き換わり、人員削減が進んでいるというニュースも耳にします。日本でも、この波は確実に押し寄せています。
「勉強して良い大学に入り、安定した事務職に就く」 かつて勝ち組とされたこのルートが、AIによって崩れ去ろうとしています。そんな時代において、私たち小学校教員は、子どもたちにどのような「力」を授ければよいのでしょうか。
経営共創基盤(IGPI)会長の冨山和彦氏の提言や、私自身が最近読んだ『ひゃくえむ。』『月と6ペンス』という物語から得た気づきを交えながら、これからの学校教育の在り方について考えてみたいと思います。
1. 日本の初等教育は「成功」している ——最強の「社会OS」
まず、教育の現状をどう捉えるか。冨山和彦氏は意外なことに、「日本の初等中等教育は世界的に見て成功している」と評価しています。
世間では「日本の教育は遅れている」「失敗だ」と批判されることも多い中で、この視点は新鮮です。では、何が成功なのでしょうか。冨山氏が挙げるのは以下の2点です。
- 世界トップレベルの平均値の高さ 「落ちこぼれ」を最小限に抑え、国民全体が高い基礎学力(リテラシー)を維持していること。誰ひとり取り残さないという教育の理念が、高いレベルで実現されています。
- 社会的な規律(ソーシャル・ディシプリン) 掃除や給食当番、集団行動などを通じて、「阿吽の呼吸」で動ける協調性や、他者への配慮が育まれていること。海外から見れば驚異的とも言えるこの「社会性」こそが、日本の治安や現場力の高さ(ローカル経済の強さ)を支えています。
つまり、学校というシステムは、子どもたちに日本社会で生きていくための「基本OS(オペレーティングシステム)」をインストールする装置として、これまで極めて有効に機能してきました。この「平均値の高さ」と「社会性」は、今後も日本の強みとして維持すべき財産です。
2. インストールすべき「第2のOS」 ——論理、数理、そして「問い」
しかし、これまでのOSだけで未来を生き抜けるかといえば、答えはNOです。これからの時代、特にAIが台頭する社会で生き残るためには、既存のOSの上に、新しい能力を上書きする必要があります。
冨山氏は、ホワイトカラーの価値が下がる一方で、現場で高度な判断を行う「アドバンスドエッセンシャルワーカー(あるいはライトブルーワーカー)」の価値が高まると予測しています。そこで必要になるのが、以下の2つの言語能力です。
- 論理的な国語力: 感情や空気に頼らず、論理(ロジック)で他者と合意形成をする力。
- 数理的な能力: 現実の事象を数字やデータで客観的に捉え、AIを使いこなすためのリテラシー。
これらは、いわばAI時代の「読み書きそろばん」です。 そして、私はここに、小学校教員の視点からもう一つ、決定的に重要なOSを加えたいと思います。
それは、**「問いを立てる力」**です。
AIは「答え」を出すことに関しては、人間を遥かに凌駕します。しかし、AIは自ら「問い」を生み出すことはありません。「何が問題なのか?」「何を知りたいのか?」という問い(プロンプト)を投げかけるのは、いつだって人間の役割です。
これからの教室では、先生が正解を教えるのではなく、子どもたちが「自分なりの問い」を見つけ、それを深めていくプロセスこそが、最も重要な学習活動になるはずです。
3. 人間にしかできないこと(1) ——「一次情報」と「不愉快な摩擦」
では、具体的にどう授業を変えていけばいいのか。私は「AIに任せること」と「人間が汗をかくこと」を明確に分けるべきだと考えています。
情報の整理や分析(二次情報の処理)は、AIの得意分野です。子どもたちが集めた情報をAIに入力し、表にまとめさせたり、多角的な視点から分析させたりすることは、思考を深めるために非常に有効でしょう。AIを「思考の壁打ち相手」として使うことで、学びの質は格段に上がります。
一方で、絶対にAIにできないことがあります。それは**「一次情報を取りに行くこと」**です。 自分の足で現場に行き、人に会い、手で触れ、匂いを嗅ぐ。ネットに落ちていない「生の情報」を取りに行く体験学習は、今後ますます価値を高めます。
そしてもう一つ、学校という「場」でしか学べない重要なことがあります。それは**「感情の摩擦」**です。
冬休み明け、「学校に行くのが嫌だな」と感じる子ども(あるいは大人)は多いでしょう。その原因の多くは「人間関係」です。他者は思い通りにならず、不愉快で、疲れる存在です。 しかし、ここが重要な点です。AIやSNSのアルゴリズムは、私たちに「心地よい正解」や「自分と似た意見」ばかりを提示します。そこは快適なエコーチェンバーですが、成長はありません。
人間は、自分とは異なる、時には不愉快な他者とぶつかり合い、葛藤する中でしか、他者理解や自己成長を果たすことができません。学校は、あえてこの「面倒くさい人間関係」の中に身を置き、揉まれることができる貴重なトレーニングジムなのです。
4. 人間にしかできないこと(2) ——「ガチ」になる生き様
最後に、私が最近読んだ2つの作品から感じた、AIには絶対に模倣できない「人間の核心」について触れたいと思います。
一つは『ひゃくえむ。』(魚豊 著)、もう一つはサマセット・モームの『月と6ペンス』です。
『ひゃくえむ。』の主人公は、100m走にすべてを賭けています。彼は記録のためでも、誰かから褒められるためでもなく、ただ「ガチ(本気)」になるために走っています。自分が自分であることの証明、その瞬間の爆発的な充足感のために、合理的とは言えない努力を重ねます。
『月と6ペンス』の主人公もまた、安定した家庭と仕事を捨て、周囲からは狂気とも思える情熱で絵を描くことに没頭します。傍から見れば、貧困と病気に苦しむ不幸な人生かもしれません。しかし彼は、魂の声に従い、「描かねばならない」という衝動に突き動かされて生きました。そこには、社会的な成功や効率性とは無縁の、圧倒的な「生の充実」があります。
AIは「確率的に正しい行動」や「効率的な解」を選びます。しかし、人間は違います。 「ガチになること」 「損得勘定抜きで、何かに没頭すること」 これこそが、AIには到達できない人間の聖域です。
これからの小学校教育は、子どもたちがこの「ガチ」になれる瞬間をどれだけ作れるかが勝負になるのではないでしょうか。探究学習であれ、運動会であれ、遊びであれ、何かに夢中になり、時間を忘れて没頭する体験。その「熱」を知っている子だけが、AIを単なる道具として使いこなし、自分自身の人生をドライブさせていくことができるはずです。
結びに:ティーチャーから「伴走者」へ
社会が変わり、求められる能力が変わり、そしてAIが台頭する中で、私たち教師の役割も変わらざるを得ません。
これまでは、教壇の上から知識を授ける「ティーチャー」でした。しかしこれからは、子どもたちが問いを立て、一次情報を探しに行き、他者と協働し、そして何かに「ガチ」になるプロセスを支える**「コーチ」や「マネージャー」**へと進化する必要があります。
「論理」と「数理」という武器を持たせ、AIという最強の助手を使いこなさせながら、同時に泥臭い人間関係や、非合理な情熱の尊さを伝えていく。
アドバンスドエッセンシャルワーカーとしての教師の仕事は、これまで以上にクリエイティブで、人間味に溢れたものになっていくはずです。AI時代だからこそ、人間であることを楽しみ、子どもたちと共に「ガチ」で未来を考えていきたいと思います。

コメント