海外旅行記(韓国編)

「旅のスタイル」と「学びのスタイル」をやや強引に結び付けて考えてみました。学びのスタイルにも「決められた場所をスケジュール通りに通るツアー」と「いきあたりばったりの旅で出会いをもとに変化していく旅」の二通りの型があるのではないでしょうか。自分自身の旅の思い出を書きながら、学びのスタイルとの関係について考えていきたいと思います。

ツアー型は事前に詳細な行程表が手渡され、時間通りにバスに乗り、有名なスポットを巡り、美味しいレストランで食事をする。これも確かに素晴らしい旅行の形です。計画通りに進む安心感と、手軽に異文化体験ができる効率性は、ツアーならではの魅力でしょう。

私自身は若い頃から、どちらかというとこの「ツアー」とは対極にある「いきあたりばったりの旅」を好んできました。 航空券だけを取り、現地に降り立ったら、その日の宿も、次の日の予定も全く決めずに、その場の気分や出会いに身を委ねる。そういう旅です。

この「いきあたりばったり」の旅では、予期せぬ出来事や、思いがけない出会いから得られる感動や気づきがあります。または計画通りに進まないことで培われる臨機応変な対応力や、問題解決能力が必要になってきます。これらはいわゆる「探究的な学び」と類似点があります。

探究的な学びとは、自分の「好き」や「なぜ?」を起点に、自ら問いを立て、情報を集め、分析し、行動に移し、そして振り返ることで、自らの学びを深めていくプロセスです。「いきあたりばったりの旅」は、まさにこの探究的な学びを実践するものといえます。道中で面白いものを見つけたら、予定を変更して寄り道をする。その寄り道が、また新たな学びや発見へと繋がっていきます。

しかし、世の中には、私のような「いきあたりばったり型」の人間ばかりではありません。きちんと決められた計画に沿って、着実に物事を進めていきたいという「計画型」の人間も、当然ながら存在します。彼らにとって、予期せぬ変更や、曖昧な状況は大きなストレスとなるでしょう。

どちらのタイプが「正しい」という問題ではありません。これは、人間が持つ多様な「学びのスタイル」として理解したいと思っています。

子どもの学びのスタイルを見極める大切さ

だからこそ、教師としては子どもの「学びのスタイル」をよく観察し、見極めたいと思っています。

  • もし子どもが「計画型」であるならば、詳細な学習計画を立ててあげたり、目標を明確にしてあげたりすることが、学習意欲を高める上で有効かもしれません。そんな子どもに、「自由に探究しなさい!」とばかり言って、全てを丸投げするのは、かえって大きなストレスを与えてしまう可能性があります。
  • 逆に、もし子どもが「いきあたりばったり型」であるならば、ガチガチに決められたスケジュールや、正解が一つしかない学習方法を押し付けるのは、その子の好奇心や探究心の芽を摘んでしまうことになりかねません。時には寄り道を許し、自由に学びを深められる「余白」を与えてあげることが大切でしょう。

もちろん、探究的な学びが素晴らしいと叫ばれる現代社会において、私もその重要性を強く感じています。しかし、大切なのは、流行に惑わされず、「子ども合った学び方」を信じ、それをサポートしてあげることです。

たとえ「計画型」のお子さんであっても、人生には予期せぬ出来事がつきものです。社会に出れば、自分で判断し、柔軟に対応する力が求められる場面も少なくありません。だからこそ、「こういう学び方もあるんだよ」と、時には「寄り道」の楽しさや、偶然の出会いから生まれる学びの面白さを教えてあげることは、その子の視野を広げ、将来の選択肢を増やすことに繋がるでしょう。

多様性が尊重される時代だからこそ、私たち大人が、子どもの個性を深く理解し、その成長に寄り添うことが何よりも重要なのです。

さて、私の旅の話に戻ります。少しお付き合いください。


テレビのない家と「ドリトル先生」がくれた好奇心

私の子ども時代には、家にテレビがありませんでした。 心ついた時には、すでにテレビのない生活が当たり前でした。今でいう「スマホのない家庭」のような感覚だったのかもしれません。

テレビが見られない分、私の遊びといえば、ひたすら本を読むことでした。幸いなことに、私は読書が好きになり、中でも特に夢中になったのが、ヒュー・ロフティング作「ドリトル先生」シリーズです。

ドリトル先生は、動物の言葉がわかるお医者さんで、世界中の珍しい動物たちを助けるために、アフリカや南の島、さらには月まで旅をします。彼が繰り広げる冒険の数々は、当時小学生だった私の心を鷲掴みにしました。

自分が知らない、遠い世界にどんどん連れて行ってくれるドリトル先生の物語に、私はすっかり魅了されました。そして、「いつか自分も、この本に出てくるような知らない世界へ行ってみたい!」という強い好奇心を抱くようになりました。この純粋な好奇心こそが、私の10代、20代の行動の大きな原動力となっていたのだと、今振り返ると思います。


18歳:初めての海外旅行記・韓国編

そして、その好奇心に突き動かされるように、私は18歳の夏休み、生まれて初めての海外旅行へ出発しました。行き先は、最も近い外国である韓国でした。

当時の海外旅行は、今のようにLCC(格安航空会社)が発達しておらず、飛行機代も高価でした。お金のない私は、知恵を絞って、ある画期的な方法を思いつきました。それが、日本の各地を普通列車で旅できる「青春18きっぷ」を使った、陸と海を繋ぐ移動です。

まず、東京から青春18きっぷを使い、数日かけて普通列車を乗り継ぎ、本州の最西端を目指しました。途中、姫路城のある姫路で一泊し、さらに列車に揺られて山口県下関へ。下関で一泊した後、いよいよ私の冒険は本格化します。下関と韓国の釜山を結ぶ国際フェリー「関釜(かんぷ)フェリー」に乗船したのです。

当時、関釜フェリーには学割があり、片道わずか5,400円という破格の値段で乗船できました。ベッドはなく、雑魚寝のような状態でしたが、それすらも冒険の醍醐味だと感じていました。夜に出航し、船内で一晩を過ごす間、船内には当時亡くなられたばかりの国民的歌手、美空ひばりさんの歌がずっと流れていたのを覚えています。

翌朝7時頃、釜山港に到着。フェリーの窓から港に近づくにつれて、目に飛び込んできたのは、日本の家屋とは全く異なる、原色に彩られた家の屋根でした。黄色、赤、緑、オレンジ……。カラフルな家々が立ち並ぶ光景は、私にとって初めての「異文化」の証であり、「本当に海外に来たんだ!」と胸が高鳴ったのを鮮明に覚えています。

船を降りる前に、船内で知り合った数人の年配の方と仲良くなりました。その中には、ホーキング博士の宇宙論について熱く語り合う、博識なお医者さんらしき二人組もいました。まさかフェリーの船内で宇宙論を語り合うとは、まさに「いきあたりばったり」の旅ならではの出会いです。

釜山に到着後、そのおじさんたちと合流し、一緒に宿探しをしました。ホテルではなく、おそらく一泊1000円か2000円程度の簡素な宿に泊まりました。

釜山の街を歩くと、活気あふれる市場が目に飛び込んできました。特に印象的だったのは、豚の頭や豚足がそのまま売られている露店でした。日本ではなかなか見られない光景に、私はカルチャーショックを受けました。当時はまだ日本語を話せるおばあさんたちが多く、色々と話をする中で、日本と韓国の歴史的なつながりを漠然と感じたのを覚えています。

釜山で2泊した後、高速バスに乗ってソウルへ向かいました。 ソウルでもまた、「いきあたりばったり」の出会いが待っていました。街を歩いていると、入った飲食店で、たまたま隣に座っていた21歳くらいの韓国人男性と意気投合。彼はアメリカン・エキスプレスに勤めているそうで、なんと「うちに泊まりに来いよ」と誘ってくれたのです。

彼の家に泊めてもらい、翌日には彼の高校生の弟とも仲良くなりました。その弟が「韓国の学校を見る機会もなかなかないだろうから、遊びに来ないか」と誘ってくれ、彼の通う高校を訪れることになりました。今思うと、その高校は普通の高校ではなく、ダンスや演劇、民族舞踊などを学ぶ、いわゆる「芸術高校」のような学校だったようです。

その日の夜には、なぜかその高校生たちと先生たちも交えた「打ち上げ」に参加することに。30〜40人ほどの生徒たちが集まり、椅子があるだけの簡素な場所で、まるで昔の日本の宴会のように、皆で酒(おそらくマッコリや焼酎)を飲み交わしていました。高校生がお酒を飲んでいることに驚きつつも、その場の熱気に私も酔いしれました。

韓国の人々は、本当に歌が大好きです。酒を飲むと必ず大合唱が始まります。私も何か歌えと言われ、当時流行っていた細川たかしの「北酒場」や、なぜか「およげ!たいやきくん」を歌いました。大いに盛り上がったのを覚えています。

しかし、酔いが回るにつれて、まさかの事態が発生しました。 その弟の友人同士が、「なんで日本人なんか連れてきたんだ!」「俺の友達に何を言うんだ!」と喧嘩を始めてしまったのです。韓国の人々は、情熱的で、感情がストレートに出やすい民族性があるのでしょうか、喧嘩もかなり激しいものでした。路上でビール瓶を頭に打ち付け合うような光景は、18歳の私には強烈なカルチャーショックでした。

しかし、その喧嘩の最中、どこからともなく地元の「あんちゃん(兄貴分)」たちが現れ、「お前ら、何やってんだ!やめろ!」と仲裁に入ってくれました。その人情味溢れる姿は、血の気の多さとは裏腹に、温かい人情を感じさせるものでした。

同じ「人間」という形をしていても、文化や育った環境が違えば、考え方や感情の表し方がここまで違うのか。18歳の私は、この鮮烈なカルチャーショックを通して、多様な価値観が存在することを肌で感じたのです。

結局、喧嘩をしていた二人が仲直りしたのかは定かではありませんが、私にとってはとても印象深い出来事でした。その後、彼らは日本人の私をもてなそうと、ビリヤードに連れて行ってくれたり、さらに居酒屋に連れて行ってくれたりしました。その温かい心遣いは、今でも忘れられない良い思い出です。

ソウルでは他にも、屋台のB級グルメを食べ歩いたり、南大門市場を歩き回ったりしました。突然の雨に見舞われ、その場で慌てて透明な簡易傘(日本ではあまり見かけない竹細工のような傘でした)を買って、雨の中を歩いたことも覚えています。

18歳で初めて経験した韓国での旅は、私の人生において非常に大きな意味を持つ出来事でした。単なる観光旅行ではなく、予期せぬ出会いやカルチャーショックを通して、新しい世界を知り、多くの学びを得た冒険でした。


まとめ:旅と学びは「人生の地図」を広げる

今日の旅の記録は、私という人間が、なぜ「探究的な学び」を重視するのか、その原点にある「行き当たりばったり」の旅の精神を、皆さんに少しでもご理解いただくためのものでした。

人生の学びは、常に計画通りに進むとは限りません。 時には寄り道をし、予期せぬ出会いから学びを得る。そして、たとえ失敗や困難にぶつかっても、そこから何かを学び取り、次に活かす。私の旅は、私にとってはこの「探究のプロセス」そのものでした。

子どもたちの学びもまた、画一的なものではありません。 「計画型」の子もいれば、「行き当たりばったり型」の子もいる。どちらが良い悪いではなく、その子の個性を見極め、それぞれのスタイルに合った学びの機会を提供してあげることが、親としての私たちの役割だと感じています。

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