海外旅行記(アフリカ・カナダ・ヨーロッパ編)

韓国やタイ、インドなど大学時代はアジアを中心に旅をしていました。社会人になってからはアメリカ出張も増えたのですが、学生当時はお金もなく、いわゆる貧乏旅行の1人旅でした。ただ学生時代どうしても行きたいと思っていた場所があり、それがアフリカでした。


アフリカへの旅:小学生のときからの夢が実現

「いつかアフリカに行ってみたい」という憧れは、小学生の頃に夢中になって読んだドリトル先生シリーズに遡ります。『ドリトル先生アフリカへ行く』というタイトルに心を奪われ、いつか自分もあの広大な大陸に足を踏み入れてみたいと強く願っていました。

その願いが叶ったのは、1991年。まだ学生だった頃です。アフリカへの直行便はなく、最初にパキスタンで乗り継ぎ(トランジット)をし、ようやくケニアのナイロビに降り立ちました。着いたのは夜だったのですが、街はほとんど電気がついておらず、あたりは真っ暗。たくさんの黒人に囲まれ、正直、少し怖いと感じたのを覚えています。

さらに衝撃的だったのは、道中で車が炎上している光景に出くわしたことです。タクシードライバーに尋ねると、「暴動が起きているんだ」と。まさか旅の始まりが、そんな映画のようなシーンから始まるとは思いもしませんでした。まさに「カルチャーショック」という言葉がぴったりの、鮮烈なアフリカの幕開けでした。

しかしナイロビの街は非常に発展しており当時もっていたイメージが覆されました。今でこそYouTubeなどで旅をしなくてもナイロビの街の様子を知ることができますが、当時は「地球の歩き方」が頼りでドキドキしながら空港を降り立ったのを覚えています。とにかく勝手に抱いていた「アフリカ」のイメージとは異なり、30年以上前の当時でも、ナイロビは活気に満ちた、非常に発展した都市だったのです。

ナイロビでは、偶然、青年海外協力隊(JICA)の方々と出会う機会がありました。彼らはアフリカの地方で農業技術などを伝える活動をしており、休暇でナイロビに遊びに来ていたのです。異国の地で出会った日本人との交流は、日本の国際貢献の一端を知る貴重な時間となりました。

偶然の出会いが紡ぐ、ザンジバル島での漁師体験

アフリカの旅では、パキスタンでのトランジット中に知り合った方のお兄さんが、タンザニアのザンジバル島でなんと日本人漁師として暮らしているということを知りました。「アフリカで日本人漁師?」と驚きつつも、その方から「よかったら訪ねてみては」と言っていただき、ザンジバル島へ向かいました。

そこで出会ったのは、小さな漁船と数人の現地の人々を雇い、漁師としてたくましく生きる日本人の方でした。彼の船に乗せていただき、一緒にマグロ釣りへ。日本で食べるマグロはほとんどが冷凍ですが、釣り上げたばかりの新鮮なマグロをその場で刺身にして食べるという、日本では決してできない贅沢な体験をさせてもらいました。

この経験は、まさに「人との出会いが旅の醍醐味」だと実感させてくれるものでした。旅は一人で気ままに行くのも良いですが、人との縁が思いがけない場所に導いてくれることもあります。もちろん、女性の一人旅では危険も伴うかもしれませんが、そうした出会いを大切にし、自分の足で一歩踏み出すことで、想像もしなかった景色や体験が待っています。


アイスホッケーの聖地、カナダへ

アフリカとは別に、大学時代にもう1つどうしても行きたかった場所がカナダです。大学生時代にアイスホッケーに打ち込んでいたのですが、カナダに行って国技であるアイスホッケーを本場で観戦したかったのです。卒業旅行でその仲間たちと一緒にカナダを訪れました。当時、トロントに親戚が住んでいたこともあり、親戚の家に泊めてもらいながらの旅でした。

ナショナルホッケーリーグ(NHL)の試合を生で観戦し、本場の熱狂と興奮を肌で感じたのは、今でも忘れられない体験です。仲間たちと共に叫び、興奮し、スポーツの持つ一体感と感動を分かち合いました。

その後、カナダのエドモントンを訪れ、ダイヤモンドダストという神秘的な現象を目にしました。凍てつく空気の中で、キラキラと輝く氷の塵が空中に舞い踊る光景は、まるで空から星が降ってくるようで、息をのむ美しさでした。

さらに北へ向かい、北緯60度線を越えたイエローナイフでは、ついに念願のオーロラを体験しました。夜空に広がる緑色のカーテンがゆらゆらと揺らめく姿は、まさに自然が織りなす芸術。感動で言葉を失うほどの絶景でした。

そして、犬ぞり体験。凍結した湖の上を、犬ぞりに乗って滑走しました。気温はマイナス40度。犬ぞりに引かれて走ると、目や鼻の穴まで凍り付くような極寒の世界でしたが、それもまた、日本ではできない貴重な体験として、今も鮮明に記憶に残っています。カナダの雄大な自然と、そこで得られた非日常的な体験は、私の感性を大きく揺さぶるものでした。


ヨーロッパの歴史と文化に触れて:ウィーン、ハンガリー、ドイツ

大学生時代には、ヨーロッパにも足を運びました。なぜハンガリーに行きたくなったのかというと、宮本輝さんの小説『ドナウの旅人』を読んだことがきっかけです。その中で描かれる「ドナウの真珠」と称されるブダペストの街に魅せられ、友人とともに訪れることにしました。

ブダペストは、本当に美しい街でした。しかし、私が訪れたのは、ハンガリー動乱からまだ数十年しか経っていない時期。街を歩くと、美しい建物の壁に生々しい銃弾の跡が残されており、その歴史の重さを肌で感じました。それまで「ハンガリー」という国についてほとんど知らなかったのですが、実際にその地に立つことで、歴史的背景を深く調べたいという知的好奇心が掻き立てられました。

隣国オーストリアのウィーンにも足を延ばし、ハプスブルク宮殿などの歴史的建造物を巡り、モーツァルトやベートーヴェンといった偉大な音楽家たちの足跡を辿りました。ヨーロッパの旅は、その地の歴史や文化を知ることで、旅が何倍も楽しく、奥深いものになることを教えてくれました。

ドイツでは、ニュルンベルクを訪れました。ニュルンベルク裁判の舞台としても知られるこの街は、ドイツの鉄道発祥の地でもあります。歴史に思いを馳せながら、美味しいビールとホットドッグを味わった記憶も、今となってはかけがえのない思い出です。


旅が教えてくれた「本当の自分」と「日本の価値」

私の海外旅行記をお伝えしてきましたが、私が旅を通じて得た最も大きな学びは、「自分の思い込みや、日本の社会で『当たり前』とされている価値観から自由になること」の重要性です。

日本の学校教育は、しばしば集団行動や画一的な価値観を重んじる傾向があると感じています。しかし、海外に出ると、「こんな生き方もあるんだ」「こういう考え方もありなんだ」という、多様な生き方や価値観に触れることができます。若いうちにこうした多様な世界を知ることは、これからの自分の生き方を定めていく上で、非常に大きな影響を与えてくれるはずです。

同時に、海外に出ると、日本という国の素晴らしさを再認識する機会にも恵まれます。私自身、海外での経験を通して「日本って本当に良い国だな」と改めて思うことが多かったです。

  • 安全な社会: 世界の多くの国と比べて、日本の治安の良さは際立っています。
  • 自由な文化と土台: 好きなことを学び、やりたいことに挑戦できる、豊かな文化的な土台があります。
  • 日本人としてのアイデンティティ: 海外に出ると、自分が「日本人」であることを強く意識せざるを得ません。その中で、「日本人として、これからどう生きていくか」というアイデンティティの確立を考える良いきっかけとなります。

そして、「日本という国で、自分に何かできることはないか」「何か付加価値を提供できないか」という思いが、今の私が小学校の先生という道を選んだ大きな理由の一つにもなっています。

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